NEWS
新着情報

なぜ『のきさき市』をしているの?

2017.04.02


〜なぜ『のきさき市』をしているのか〜
実行委員長に聞いてみました


騎射場の未来のため。
いわゆる平たく言うと「まちづくり」
ということなんだろう。

けど、まちづくりなんて1人じゃできないし、ましてや一朝一夕でなんてできない。
しかもボランティアでやり続けられるほど、時間もお金も有限にあるわけじゃない。

「まちづくりは10年一仕事」とはよく言ったもの。

じゃあ10年後。
もし『のきさき市』がやっていたら
どんな未来が待っていると思う?

8歳だった子供は18歳。大学生だ。
親父とお袋たちがつくったのきさき市を
一緒にやれる時代が来るわけだ。

22歳で鹿児島を離れた子達は32歳。
ちょうど人生節目のタイミング。
鹿児島に帰って来ようかな、なんて思ったりするかも。
そんな時のきさき市をキッカケに、帰って来れる人がいる可能性も出てくる。

そう。まちづくりなんてのは、ここからが勝負。
子供たちが見ているのは、今のまちの大人たち。
子供たちが帰って来れるかどうかは、今まちにいる大人に責任があると思う。
だからまちに住み暮らす今の大人達は、
まちをつくってる背中を子供たち見せないといけない。
子供たちが帰って来たい、このまちの未来を引き継ぎたいと思ってもらえるかで、まちの未来が決まる。



だから10年なんて、あっという間にかかるわけ。
時間はかかるけど、1年ごとにちゃんと戦略を練りながら、積み重ねていかないといけない。
時間は有限だし、環境は常に変化していく。

人のコミュニティバランス(環境の変化)は2〜3年で変わる。
それも見越しながら仕組みや関係性をつくっていく。
そのひとつの装置が『のきさき市』になってくる。



のきさき市のコンセプトは
『家族、仲間、つながり』
騎射場は雑多な人たちが集まり、誰でも受け入れる寛容なまち。

このまちは昔から異人館があったり、騎射場市場があったり、横丁や各所に商店街があったり、大学もあるし、本当に様々な人たちが住み暮らすまちだった。

こんなまちは鹿児島でも騎射場だけ。
いろんな人が住み暮らして来たまちだからこそ、寛容性が高いまちなんだと思う。

だけど転勤族や県外から来た学生など、
1人孤独で住み暮らす人たちも多い。
そして独居老人も。

だから、そんな人たちと地元の人たちが繋がる「プラットホーム」みたいなものが必要だと感じた。

そのための『のきさき市』でもある。

そして、たくさんの人と人が交わり、
関係性を繋げられるようにのきさき市は毎回コンセプトを変えている。

0069
ハロウィンのきさき市では若い子たちと一緒につくったり、
今回ののきさき島では島の人たち一緒につくったり。

元々この騎射場は島の人たちも多く住み暮らし、昔は大島紬の機織りなんかもしていた地域。
島二世三世も多い地域だ。

鹿児島が薩摩と呼ばれてた時代、薩摩は島の人たちに大いに支えられていた。
流鏑馬の練習場だった騎射場。
そんな薩摩時代からある騎射場に、今回島の人たちが集まる。

こんな機会はもう二度とないかもしれない。
だからこそ、企画をするほうとしては、
プレッシャーもあるし、やりがいもある。

花見

今、ここで、私たちだからこそ、
表現(見せる)しなければならない事があるはず。
今の子供たち、そして未来を支える子たちのために。

のきさき市に関わる人、まちの人、そして島人と、いろんな人の想いを背負い5月28日に向けて走りはじめます。

こんな「のきさき市」を一緒にやりたいと思う人は、是非一緒に関わって欲しい。

どんな人だって想いがあれば受け止めるまち。
なにかやりたいと想う人を受け入れるまち。
なんてったって寛容なまち騎射場だからね。

さぁ、まちの未来を一緒につくろうぜ!




【ボランティアキャスト募集】
  ↓こちらから↓